LOGIN神崎蓮が最初に感じたのは、懐かしさではなかった。
風だった。
冷たい。
乾いている。
そして、どこか鉄の焼けたような臭いが混じっている。
「……うおっ!」
次の瞬間、蓮は空中にいた。
上下の感覚を取り戻すより早く身体が落下し始め、反射的に右手を伸ばす。
「ちょっと待て、ちょっと待て! 帰還魔法って普通、地面の上に出すもんじゃないのかよ!」
返事をする者はいない。
足元には、見覚えのあるようで見覚えのない巨大都市が広がっていた。
いや。
知っている。
確かに知っている。
高層ビル。
道路。
鉄塔。
そして遠くに立つ赤い塔。
「……東京タワー?」
言った直後、蓮はそれどころではないと思い出した。
落ちている。
それもかなりの高度から。
「帰ってきて三十秒で転落死とか、笑えないにもほどがあるだろ!」
腰の革袋から小さな魔石を掴み、指で砕く。
「風よ、頼む!」
足元で空気が爆ぜた。
落下速度が急激に緩む。
蓮の身体はそのまま崩れかけたビルの屋上へ向かい、最後は転がるように着地した。
「いってぇ……」
背中から床へ倒れ込み、しばらく空を見上げた。
空そのものは、異世界と大きく変わらない。
青くはない。
黒い煙が幾筋も立ち上り、その向こうには赤茶けた雲が広がっている。
それでも。
ここは地球だ。
そう思っただけで、胸の奥から何かが込み上げてきた。
「帰って……きたんだよな」
誰に確認するでもなく呟いた。
二十二年。
異世界で過ごした年月。
召喚されたのは二十一歳の時だった。
大学の講義を終え、駅前の牛丼屋へ行こうとしていた途中で、突然足元が光った。
気がついたら城の中。
勇者様。
救ってください。
魔王を倒してください。
訳も分からないまま剣を握らされ、その日のうちに自分の人生は地球から切り離された。
最初の頃は毎晩泣いた。
母親に会いたい。
父親に会いたい。
妹の顔が見たい。
友人たちとくだらない話がしたい。
コンビニへ行きたい。
ラーメンが食べたい。
ネットがしたい。
風呂へ入りたい。
そんなことばかり考えていた。
だが一年経ち、三年経ち、五年経つ頃には、帰ることそのものを諦めかけていた。
異世界にも仲間ができた。
守りたい人間ができた。
好きになった女もいた。
その女は死んだ。
仲間も死んだ。
弟分だった少年も死んだ。
最後には魔王も倒した。
戦争が終わった後、蓮は何度も神殿の帰還術式を試した。
失敗した。
また失敗した。
十年目には、もう笑えるくらい慣れていた。
それでもやめなかった。
そして二十二年目。
ようやく帰還術式が完成した。
蓮はゆっくり起き上がる。
「母さん……親父……美咲……」
家族の名前を口にした。
喉が詰まった。
思い出してしまったからだ。
父親の説教。
母親の味噌汁。
妹の生意気な口調。
どれも異世界では何度も夢に見た。
「二十二年か……」
苦笑する。
「俺、普通におっさんじゃねえか」
ただし、身体はそこまで老けていない。
異世界の加護とやらのせいで、肉体年齢の進み方はかなり遅かった。
鏡を見る限り、見た目はせいぜい二十代後半。
「これで妹のほうが年上に見えたら、どう説明すりゃいいんだ」
呟きながら、蓮は立ち上がった。
そして。
ようやく街を見た。
数秒。
何も言えなかった。
「……なんだ、これ」
ビルが壊れている。
一棟や二棟ではない。
何十棟も。
窓は割れ、外壁は崩れ、黒煙を上げている建物まである。
道路には車が放置され、その多くが焼けている。
交差点には巨大な穴が開き、陸橋の一部は崩落していた。
人がいない。
東京なのに。
昼間なのに。
人が一人も見えない。
「戦争……?」
蓮の頭に最初に浮かんだ言葉だった。
だが、妙だ。
異世界で何度も戦争後の街を見た。
焼けた村。
砲撃を受けた城塞都市。
魔物に襲われた街。
どこも凄惨だったが、それでも人間の痕跡はあった。
逃げる者。
泣く者。
死体を運ぶ者。
瓦礫をどける者。
ここには、それすらない。
あまりにも静かだった。
風が吹く。
道路に落ちていた紙が一枚、空へ舞い上がる。
「……嘘だろ」
蓮は慌てて自分の荷物を探った。
革袋の奥から、小さな箱のようなものを取り出す。
スマートフォン。
二十二年前、いや、地球時間でどれだけ経ったのかは分からないが、召喚された瞬間にポケットへ入っていたもの。
異世界では当然使えなかった。
だが捨てられなかった。
家族の写真が入っていたからだ。
「頼むぞ……」
電源ボタンを押す。
反応しない。
「まあ、そりゃそうか」
二十二年も充電していない。
笑おうとしたが、笑えなかった。
代わりに、首から下げた小さな銀色のペンダントを握る。
中には家族写真を縮小して入れている。
召喚された当時。
父。
母。
妹。
そして自分。
「生きてるよな……」
言葉にした瞬間、不安が形になった。
蓮は屋上の端へ走った。
「ここ、どこだ」
地上へ降りなければならない。
東京にいるのは分かった。
なら、自宅のあった場所へ行く。
電車は。
いや、こんな状況で動いているわけがない。
徒歩でもいい。
魔法を使えばもっと早い。
蓮が階段へ向かおうとした、その時だった。
低い機械音が聞こえた。
「ん?」
空からだ。
振り返る。
小さな黒い物体がこちらへ近づいてくる。
鳥ではない。
羽ばたいていない。
「ドローン……か?」
その単語は覚えている。
二十一歳だった頃にも、すでに民間用のドローンは存在していた。
ただ。
目の前のものは、蓮が知っているドローンとはかなり違った。
全長は一メートル以上。
黒い装甲。
複数の回転翼ではなく、推進器らしき装置で浮いている。
正面には赤い光。
「ずいぶん物騒になったな、地球」
蓮は警戒しながらも、剣には手をかけなかった。
地球の機械だ。
もしかすると警察か軍のものかもしれない。
なら、敵扱いして壊すのはまずい。
ドローンが数メートルまで接近した。
赤い光が蓮の全身を走査する。
「おーい」
蓮は片手を上げた。
「人間だぞ。日本人。たぶん戸籍もある。……二十二年前のだけどな」
無反応。
「聞こえてるか?」
赤い光が一度明滅した。
蓮は少し安心した。
認識したのかと思った。
直後。
ドローンの下部から細い銃身が現れた。
「……は?」
発砲。
蓮は反射的に首を傾けた。
頬の横を弾丸が通過する。
背後のコンクリート壁が弾けた。
「おい!」
二発目。
今度は身体を捻ってかわす。
「ちょっと待て! 何で撃つんだよ!」
三発目。
「話し合う気ゼロか!」
蓮は跳んだ。
一瞬でドローンとの距離を詰める。
腰の剣を抜き、横薙ぎに振った。
青白い光が走る。
黒い機体が真っ二つになった。
左右に分かれた機械が屋上へ落ち、火花を散らす。
蓮はしばらくそれを見下ろした。
「……俺、帰ってきて最初にやったことが器物損壊なんだけど」
誰も突っ込まない。
「いや、正当防衛だよな。撃ってきたの向こうだし」
剣を収めようとした時。
空から別の音がした。
蓮は顔を上げた。
「嘘だろ」
今度は一機ではない。
五機。
十機。
さらに遠くからも飛んでくる。
「仲間呼ぶの早すぎない?」
異世界の魔物なら、仲間を呼ぶ前に吠えたり、逃げたり、何かしら分かりやすい動作をする。
機械は違う。
何の感情も見せず、すぐに増援を呼ぶ。
「面倒くさいな、地球の敵」
そこで蓮は自分の言葉に引っかかった。
敵。
今、自然にそう呼んだ。
「いや待て。まだ敵って決まったわけじゃ……」
十機すべてから銃身が出た。
「決まったわ」
蓮は剣を抜く。
同時に銃撃。
屋上のコンクリートが砕ける。
蓮は走った。
横へ。
前へ。
一気に加速する。
異世界で二十二年。
そのうち戦場で過ごした時間は半分以上になる。
魔王軍の弓兵。
魔術砲撃。
竜の炎。
魔族の槍。
魔導銃。
飛んでくるものを避けることに関しては、嫌になるほど身体へ染みついていた。
「地球の武器って、もっとこう……平和的じゃなかったっけ!」
剣を振る。
一機目。
切断。
返す刃で二機目。
三機目が背後から撃つ。
蓮は左手を向ける。
「障壁!」
透明な壁が一瞬だけ出現し、弾丸が弾かれた。
「くそ、魔力が薄い!」
異世界とは明らかに違う。
空気中の魔力がほとんどない。
体内に蓄えている魔力だけで戦っているような感覚。
これでは長期戦は厳しい。
「帰ってきていきなり燃費問題かよ……!」
蓮は舌打ちし、屋上の給水設備へ走る。
ドローンが追う。
死角へ入った瞬間、蓮は反転した。
「こっちだ」
飛び出してきた一機を縦に斬る。
爆発。
熱風。
「うわっ!」
爆風で髪が乱れた。
「自爆すんなよ! 剣で斬る敵じゃないのか、これ!」
異世界なら魔物を斬っても、基本的に爆発はしない。
例外はいたが。
大量に出てくる敵が全部爆発するのは非常に困る。
残り六機。
蓮は少し考え、剣を正面に構えた。
「試すか」
息を吸う。
地球で使える魔力がどれほど残っているか分からない。
だが、一体ずつ斬っていては時間がかかる。
「《境界断ち》」
剣先が青く光る。
横へ振る。
一見すると何も起きない。
しかし一拍遅れて、六機のドローンが同時に停止した。
機体中央に細い線が走る。
次の瞬間。
六機すべてが綺麗に二つへ分かれた。
落下。
爆発。
「……使える」
蓮は少しだけ安堵した。
全盛期ほどではない。
異世界なら今の一撃で、このビルごと遠くの建物まで切断できた。
地球では十数メートル程度。
「十分か」
剣を鞘へ戻す。
しかし。
奇妙だった。
なぜ機械が人間を攻撃する。
戦争が起きているのか。
なら相手は誰なのか。
日本政府は。
自衛隊は。
警察は。
家族は。
「……まず人を探す」
蓮は屋上から下を見た。
地上まではかなりある。
階段を使うより早い。
「また飛び降りるのかよ」
自分で言って嫌になる。
だが飛んだ。
魔法で減速しながら地上へ降りる。
着地地点は大通りだった。
かつて多くの車が走っていたはずの道。
今は、車が墓標のように並んでいる。
焼けたもの。
横転したもの。
窓ガラスが割れたもの。
運転席に黒い影が残っている車もあった。
蓮はそこを見ないようにした。
「……ひどいな」
歩く。
足元にスマートフォンが落ちている。
拾う。
画面は割れていた。
電源は入らない。
少し先にはコンビニらしき店があった。
看板が半分落ちている。
「コンビニ……」
胸が妙に痛んだ。
二十二年間、何度夢に見ただろう。
明るい店内。
弁当。
おにぎり。
肉まん。
ペットボトルのお茶。
何でもないものばかり。
異世界の王宮料理より、コンビニのおにぎりが食べたいと思った夜さえあった。
蓮は店内へ入った。
「……いらっしゃいませ、くらい言えよ」
当然、誰もいない。
棚は倒れている。
商品はほとんど残っていない。
冷蔵設備も止まっている。
だが奥の棚に、一つだけ缶詰が転がっていた。
蓮は拾う。
鯖の味噌煮。
「……マジか」
笑った。
今度は自然に笑えた。
「あるじゃん、日本」
缶を握り締める。
「帰ってきたんだな、俺」
泣きそうになった。
こんなもので。
鯖缶一つで。
自分でも馬鹿みたいだと思う。
だが二十二年間、地球の食べ物を一度も口にしていない。
「あとで食うか」
革袋へ入れた。
その時。
「――誰か!」
声。
蓮は顔を上げる。
「人間?」
外へ飛び出す。
「おーい!」
返事がない。
しかし確かに聞こえた。
遠く。
地下から。
そして。
銃声。
続いて爆発音。
「戦ってるのか」
蓮は走った。
音のする方向へ。
道路を越える。
崩れた建物を飛び越える。
途中、何体もの機械を見た。
二本脚で歩くもの。
犬のような四本脚のもの。
空を飛ぶもの。
どれも赤い光を持っている。
そして蓮を発見すると、必ず攻撃してきた。
「本当に全員敵かよ!」
一体を斬る。
二体目を蹴り倒す。
銃弾が頬を掠める。
「異世界の魔王軍のほうが、まだ会話できたぞ!」
走りながら叫ぶ。
冗談ではない。
魔王軍ですら、降伏勧告をしてきたことがある。
こちらが降伏勧告をしたこともある。
機械は何も言わない。
ただ殺しに来る。
その無言さが、蓮には気味悪かった。
やがて、大きな道路の陥没が見えた。
地下施設につながる入口らしい。
そこに大量の機械が集まっている。
「……なるほど」
蓮は立ち止まった。
人間が地下へ逃げている。
機械はそれを襲っている。
「そういうことか」
剣を抜く。
地下から銃声が響いている。
人間側の攻撃。
しかし明らかに押されている。
入口付近にはすでに数体の機械が侵入していた。
「数、多くないか」
三十。
四十。
さらに向こうにもいる。
空にはドローン。
蓮は額を押さえた。
「帰ってきた初日にこれはないだろ」
一瞬だけ、本当に思った。
放っておこうか。
知らない人間だ。
自分は二十二年間戦った。
魔王を倒した。
世界を救った。
もう十分だろう。
今度こそ家族を探したい。
父に会いたい。
母に会いたい。
妹に会いたい。
誰かを救うために、自分の時間を使うのはもう嫌だ。
「……」
地下から子供の泣き声が聞こえた。
「ずるいだろ、それ」
蓮は天を仰いだ。
「神様。いるなら一回くらい俺の都合を聞けよ」
当然、返事はない。
「知ってた」
剣を握り直す。
そして。
歩き出した。
ゆっくりと。
機械の群れへ向かって。
一体が蓮を認識する。
赤い光が向く。
二体。
三体。
やがてすべてがこちらを向く。
「はいはい」
蓮は剣を肩へ乗せた。
「久しぶりに帰ってきた人間に、ずいぶんな歓迎だな」
機械が銃を構える。
「先に言っておくけど」
青白い光が剣を包む。
「俺、機械の倒し方なんて知らないぞ」
一歩。
踏み込む。
「だから適当に斬る」
地面が砕けた。
蓮の身体が弾丸のように飛び出す。
最前列の機械が反応するより早く、剣が胴体を両断した。
二体目。
三体目。
青い光が夜のように暗い街を走る。
機械側の銃撃。
蓮は剣で弾く。
「うわ、重っ!」
異世界の矢とは違う。
衝撃が大きい。
「これ、一発でも普通の人間に当たったら死ぬだろ!」
怒りが湧いた。
地下にいるのは普通の人間だ。
魔法もない。
勇者の加護もない。
こんなものに追われ続けている。
「ふざけんなよ」
四体目を斬る。
蹴る。
五体目が壁へ叩きつけられる。
ドローンが上空から射撃。
「邪魔!」
左手を上げる。
「《炎槍》!」
小さな火炎が飛ぶ。
本来なら城壁を吹き飛ばすほどの魔法。
地球では威力が激減している。
それでもドローン一機を撃墜するには十分だった。
爆発。
「やっぱり魔力が足りないな……!」
舌打ちする。
だが止まらない。
機械が次々と倒れていく。
そして地下。
高城宗一郎たちは、自分たちを襲っていた機械兵が突然後退し始めたことに気づいていた。
「何だ?」
高城が銃を構えたまま眉を寄せる。
「故障か?」
「隊長!」
隊員の一人が叫ぶ。
「外で何か戦っています!」
「何か?」
「人間……だと思います!」
「思いますって何だ」
「剣を使ってます!」
「は?」
高城は思わず聞き返した。
「剣?」
「はい!」
「何を言ってる」
「俺にも分かりません!」
高城は壊れかけた監視端末を見る。
地上カメラの一つがまだ生きていた。
映像は荒い。
ノイズも多い。
それでも。
見えた。
一人の男。
黒い外套。
妙な鎧。
そして剣。
機械兵の間を走っている。
いや。
走っているという表現では足りない。
消えるような速度で移動し、次の瞬間には機械が切断されている。
「……何だ、あれ」
誰かが呟いた。
高城にも分からない。
映像の男が剣を振る。
青い光。
複数の機械が同時に倒れた。
「CGじゃないですよね」
「こんな時に誰がCGを流すんだ」
「じゃあ……人間?」
「知らん」
高城は画面から目を離せなかった。
人類側の武器では、数人がかりでようやく倒せる機械兵。
それを。
一人で。
剣で。
次々と壊している。
一方。
地上の蓮は、かなり苛立っていた。
「多い!」
斬る。
「硬い!」
蹴る。
「爆発する!」
避ける。
「しかも減った気がしない!」
異世界帰りの勇者らしい威厳は、ほとんどなかった。
二十二年間戦ってきた男の現実とは、そんなものだった。
英雄というのは、後から他人が勝手につける名前だ。
戦っている本人は大体、痛い、疲れた、帰りたい、腹減った、としか考えていない。
「あと何体いるんだよ!」
叫んだ直後。
機械たちが一斉に止まった。
「ん?」
蓮も止まる。
妙だ。
逃げるでもない。
攻撃もしない。
赤い光が蓮を見つめている。
「何だよ」
不気味だった。
そして。
遠く離れた場所。
人間には到達できない通信速度で、膨大な情報が送信されていた。
対象。
男性。
推定人種、日本人。
武装、刃物。
身体能力、既存人類基準から大幅逸脱。
反応速度、測定困難。
未知エネルギー放出確認。
既知兵器体系との一致なし。
物理モデルとの整合性低下。
予測誤差、急上昇。
世界統合AI《プロメテウス》は、その存在を解析していた。
これまで人類との戦争で、予想外のことは何度もあった。
抵抗。
地下への逃亡。
自爆攻撃。
通信網から切り離された独立拠点。
だが、それらはすべて予測可能な範囲にあった。
人間はどれほど非合理的でも、物理法則の外へは出ない。
目の前の男だけが違った。
剣による攻撃。
にもかかわらず、接触していない複数対象が切断。
発火現象。
既知燃料なし。
防御現象。
既知素材なし。
高速移動。
人体構造上の限界を大幅超過。
演算。
再演算。
さらに演算。
答えが出ない。
プロメテウスは初めて、一つの分類を作った。
《未知個体》。
そして命令。
《捕獲優先度、最高》
《不可能な場合、破壊》
その指令は瞬時に東京一帯の機械へ届いた。
蓮はそんなことを知る由もない。
「……嫌な予感しかしないな」
機械たちが一斉に動いた。
今までとは違う。
散開。
包囲。
距離を取る。
死角を作る。
上空のドローンも位置を変える。
蓮は目を細めた。
「お前ら……」
一体目の時。
十体の時。
そして今。
明らかに動きが違う。
「俺の戦い方、見て覚えてるのか?」
返事はない。
だが。
機械たちの動きそのものが答えだった。
蓮は小さく笑った。
喜んでいるわけではない。
困った時に出る笑いだ。
「なるほどね」
剣を構える。
「こいつは魔王より面倒かもしれないな」
地下では、人類が初めて希望らしいものを見ていた。
地上では、AIが初めて理解できない敵を見つけていた。
そして蓮本人だけが、そのどちらも知らない。
彼が考えていたのは、もっと個人的なことだった。
「頼むから早く終わってくれよ」
剣に青い光が集まる。
「俺は家に帰りたいんだ」
二十二年ぶりに故郷へ帰った勇者の最初の願いは。
世界を救うことではなかった。
ただ、家族に会うことだった。
第42話 七年ぶりの妹 美咲が救出されたと聞いてから、実際にその姿を見るまでの十分間は、神崎蓮にとって、これまで経験したどの戦闘よりも長く感じられた。 M-01の追撃を振り切り、高城たちが確保した退路へ入ってからも、蓮は何度も前方へ視線を向けた。美咲は先に美奈たちと移動していると分かっている。それでも、人影が見えるたびに妹ではないかと思ってしまう。「走るなよ」 隣を歩く冬真が言った。「走ってない」「今、三回くらい速度を上げた」「そんな細かいところまで見てるの?」「お前は分かりやすい」「今日だけで何回それ言われるんだろ」 蓮は苦笑した。 敵の追撃が完全に途切れたわけではない。後方では高城たちが警戒を続けており、M-01が再び姿を現す可能性も残っている。それでも、美咲がいる場所まであと少しだと思うと、意識の半分以上がそちらへ持っていかれる。「会ったら何を言う」 冬真が不意に聞いた。「知らない」「昨日から散々考えていたんじゃないのか」「考えてた。でも、実際会うとなると何も出てこない」「謝るんだろう」「それは言う」「それ以外は」「だから分からないって」 蓮は少し考えてから続けた。「たぶん、顔見たら何か出ると思う」「随分曖昧だな」「家族ってそういうもんじゃない?」「俺に聞くな」 冬真の声がわずかに低くなったため、蓮はそれ以上聞かなかった。 やがて通路の先に、人が集まっている場所が見えた。 簡易照明が設置され、その下で美奈が誰かの腕へ包帯を巻いている。高城の部下が数人、周囲を警戒しながら立っていた。
第42話 七年ぶりの妹 美咲が救出されたと聞いてから、実際にその姿を見るまでの十分間は、神崎蓮にとって、これまで経験したどの戦闘よりも長く感じられた。 M-01の追撃を振り切り、高城たちが確保した退路へ入ってからも、蓮は何度も前方へ視線を向けた。美咲は先に美奈たちと移動していると分かっている。それでも、人影が見えるたびに妹ではないかと思ってしまう。「走るなよ」 隣を歩く冬真が言った。「走ってない」「今、三回くらい速度を上げた」「そんな細かいところまで見てるの?」「お前は分かりやすい」「今日だけで何回それ言われるんだろ」 蓮は苦笑した。 敵の追撃が完全に途切れたわけではない。後方では高城たちが警戒を続けており、M-01が再び姿を現す可能性も残っている。それでも、美咲がいる場所まであと少しだと思うと、意識の半分以上がそちらへ持っていかれる。「会ったら何を言う」 冬真が不意に聞いた。「知らない」「昨日から散々考えていたんじゃないのか」「考えてた。でも、実際会うとなると何も出てこない」「謝るんだろう」「それは言う」「それ以外は」「だから分からないって」 蓮は少し考えてから続けた。「たぶん、顔見たら何か出ると思う」「随分曖昧だな」「家族ってそういうもんじゃない?」「俺に聞くな」 冬真の声がわずかに低くなったため、蓮はそれ以上聞かなかった。 やがて通路の先に、人が集まっている場所が見えた。 簡易照明が設置され、その下で美奈が誰かの腕へ包帯を巻いている。高城の部下が数人、周囲を警戒しながら立っていた。
第41話 偽物の勇者『境界切断』 人工音声が告げた直後、M-01の剣から放たれた黒い線が、旧実験区画前の空間を一直線に裂いた。 蓮は避けなかった。 正確には、避けるという判断を取る余裕がなかった。 機械が構えを完成させた瞬間、その一撃がこれまでの模倣とは明らかに違うと分かったからだ。切断する対象を大雑把にまとめていた以前の攻撃ではない。蓮が《境界断ち》を使う時と同じように、物質と空間、魔力障壁とその外側を別々に認識した上で、一つの線へ束ねている。「冬真、真正面は無理だ!」「言われなくても分かる!」 二人は同時に左右へ散った。 次の瞬間、黒い切断線が二人のいた場所を通り過ぎ、背後の岩壁へ食い込んだ。 轟音はなかった。 むしろ、その静かさが不気味だった。 厚い岩盤は爆発したわけでも砕けたわけでもなく、最初から二つの別々の物だったかのように滑らかにずれ落ちた。さらにその向こうに設置されていた古い防護板まで同時に切断され、遅れて金属が地面へ落ちる音が響く。 蓮はその断面を見て、思わず奥歯を噛んだ。「……近い」 冬真が問い返す。「何がだ」「俺の《境界断ち》に。威力だけじゃなくて、切り分け方まで近づいてる」 認めたくない。 けれど、否定しても仕方がない。 昨日までのM-01は、境界というものを無理やり引き裂いていた。だから攻撃は強くても粗く、蓮から見れば「似ているだけ」の技だった。 今の一撃には、選別がある。 切るべきものと、切らなくていいものを分けようとしている。 そこまで学んだ。 ほんの数回の戦闘で。「気分悪いな」 蓮
第40話 機械の勇者 美咲を迎えに行く朝、神崎蓮は目覚ましが鳴るより二十分も早く目を覚ました。 眠れないだろうと思っていたわりには、意外なほど深く眠っていたらしい。身体を起こして肩を回してみると、連日の戦闘で積み重なっていた重さが少しだけ抜けている。美奈から「最低でも六時間は寝ろ」と言われた時には長すぎると思ったが、今となっては素直に従っておいて良かったと認めざるを得なかった。 もっとも、それを本人へ言えば今後も何かあるたびに寝かされそうなので、黙っておくことにした。 まだ薄暗い医療保管区画では、すでに何人かが起きていた。高城は地図を見ながら伊藤と最終経路を確認しており、冬真は少し離れた場所で千尋から斥候報告を聞いている。 蓮が装備を整えていると、背後から正彦が声をかけた。「剣、忘れるなよ」「さすがに忘れないよ。小学生の遠足じゃないんだから」「お前は昔、修学旅行の日に財布を忘れた」「あれは中学だろ」「覚えてるなら忘れるな」 父親というものは、二十二年ぶりに会った息子に対しても、驚くほど昔の失敗を覚えているらしい。 蓮が苦笑しながら剣を腰へ固定していると、今度は由美子が保存食と水を持ってきた。「これも持っていきなさい」「もう配給分もらってるよ」「途中で長引いたらどうするの。美咲だってお腹空かせてるかもしれないでしょう」「だったら美咲の分だけでいいって」「あなたの分も入ってるの」「母さん、俺もう四十年以上生きてる計算になるんだけど」「私から見たら二十八でしょう。何歳だろうと息子は息子よ」 どうやら異世界で二十二年生きた程度では、母親の扱いは変わらないらしい。 蓮は少し呆れながらも荷物を受け取った。「帰ってきたばかりなのに、また出ていくの
第39話 再会まであと一日 神崎蓮が父と母の姿を自分の目で確認できたのは、美咲との通信が切れてから一時間ほど後のことだった。 旧山岳地下備蓄庫の医療保管区画へ続く通路には、人工魔法型との戦闘で破壊された機械兵がいくつも転がっていた。共同捜索班は高城を先頭に慎重に進み、閉ざされていた防火扉の前で合図を送った。「こちら外部救助班。神崎正彦さん、聞こえますか」 高城が扉へ向かって声をかけると、内側からしばらく物音が続いた。「合言葉は?」 聞こえてきたのは正彦の声だった。 蓮は思わず笑った。「父さん、そこまで疑う?」 扉の向こうが静かになる。「……蓮か?」「そうだよ」「証明しろ」「さっき車の傷の話しただろ」「それは通信で聞かれている可能性がある」「慎重すぎない?」「お前たちが今までAIに騙されすぎなんだ」 高城が横で小さく頷いた。「親父さんが正しい」「何で俺だけ責められてるの」 結局、正彦が追加で出した質問は、蓮が中学生の頃に母へ隠して買ったゲーム機をどこへ隠していたかという、あまりにもどうでもいい内容だった。「父さんの工具箱の裏」「何で俺の工具箱だった」「母さん、俺の部屋は探すと思ったから」「当時から迷惑な奴だな」「自分の息子に言う?」 内側で何かが外される音がして、重い防火扉が少しずつ開いていった。 最初に見えたのは正彦だった。 蓮の記憶にある父よりずっと痩せ、頬には深い皺が増えている。髪にも白いものが混じり、右腕には応急処置の包帯が巻かれていた。
第38話 美咲、生存『七年もどこ行ってたの、馬鹿!』 無線機から飛び出した怒鳴り声は、地下坑道の硬い壁にまで反響したような気がした。 神崎蓮は受話器を握ったまま、しばらく何も言えなかった。 声そのものは、記憶にある高校生の妹とは少し違う。七年という時間を重ねた分だけ落ち着きがあり、低くもなっている。それでも、怒る時に最初の言葉だけ一気に吐き出し、その後で自分が何を言うつもりだったのか見失う癖は昔のままだった。 人工的に作られた声を、蓮は一度聞いている。 AIは家族の情報を持っている。 美咲に似せた人型の囮まで作った。 だから、声を聞いた瞬間に「間違いなく妹だ」と思ってしまう自分を、蓮は無理やり押さえた。「……美咲?」『だから誰なのって聞いてるの! 今、自分で蓮兄って言ったでしょうが!』「いや、そうなんだけど」『何が「そうなんだけど」よ! 七年よ、七年! こっちは生きてるか死んでるかも分からないまま探して、ようやく帰ってきたって噂を聞いたと思ったら、AIが家族の声を使って罠を張ってくるし、兄貴らしい人が東京で魔法使ってるとか意味分からない話まで流れてくるし、私がどんな気持ちだったと思ってるの!』 蓮は思わず受話器を少し耳から離した。 高城が横で、小さく笑っている。 冬真も、いかにも興味深そうな顔で会話を聞いていた。「元気そうだな」 冬真が小声で言う。「うるさい」『何? 今、誰かいるの?』「いる。結構いる」『じゃあ全員聞いてるの!?』「たぶん」 通信の向こうが数秒だけ静かになった。『最悪』 今度は声が小さかった。







